子どもが勉強するって当たり前?②

前回は、ママと子どもの間のイライラ、悩みはどうして生まれるのか?

ということについて書きました。

(前回のブログはこちらから)

今回は、

ではどうしたらそのズレを小さくできるのか?

です。

それは、

・自分の当たり前を疑ってみる

そして

・子どもと話す

ことです。

自分の中の当たり前って、自分にとっては当たり前だけど、

他の人にも当たり前とは限らない。

育った家庭、時代、社会、国などの環境が違えば、変わってくるもの。

例えば、

私たち親世代が小学生の時、

英語やプログラミングは授業で習わない人がほとんどだったと思います。

でも今は小学校から必修になりました。

また以前は、性別について男性、女性からしか選べないことが多かったのですが、

今は、回答しない、という欄も増えたり、

そもそも回答する機会も減ったのではないでしょうか。

このように学校や自治体、社会、国全体が変化すると

当たり前って比較的簡単に個人が変えることができます。

でも、

そうじゃないものだと、

なかなか自分の当たり前に気が付くことも、

変えることも難しい。

だから、自分で1つ1つ見ていくしかないんです。

誰が何と言おうと、こんなの当たり前!

と思っているものも全て、見ていくんです。

子どもに

「勉強しなさい!勉強はしないといけないものだから!」

「勉強するなんて当たり前よ!義務教育ってそういうものでしょ。」

などと言ってしまいがちですが、

「本当にそうなのかな?」

「勉強って当たり前なのかな?」

「そもそも私が言ってる勉強って何だろう?」

「もしやらなかったらどうなるんだろう?」

「勉強しないと困るよ、って言ったけど、どう困るのかな?」

などと考えてみてください。

もう、一人二役でも三役でも試してみてください。

色んな視点から見てみる

漫才を意識してみてもいいですね。

自分で考えたことに、自分で突っ込んでみる。

そうすると、だんだん違う視点で物事を見れたり、

違う考え方もあることを知って思考が広がります。

子どもの言い分に対しても、真っ向から反対することが減ります。

目指すは、違う意見でも一旦受け止められるようになることです。

なぜ、一人二役、三役とか、ひとり漫才などと言うのかというと、

自分と違う意見を受け入れたり、違う意見を考えるって難しいこと。

内容によっては深刻になりすぎてしまうんですね。

そんなとき、ひとり漫才を意識したら、少しは気軽にできるからです。

では次回は、もうひとつのやって欲しいことについて書きますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です