シンガポールの悲しい思い出④

※こちらの記事には、

障害を持った子どもの話が出てきます。

気にされる方は今回はご遠慮ください。

※この体験は10年以上前の話です。

今は状況が変わっている可能性があること、

また私の独断や私情が含まれていることご了承ください。

前回のつづき

ではそういう人々はシンガポールにはいないのか?

いえ、いらっしゃいます。

きっと中心地では生活しにくいために

郊外あたりで生活されているんだろうと思います。

やむを得ずなのか、意図的にそうさせられているのかは

分かりませんが。

今回のダウン症の子どもたちを見て、

なんだかひっそり生きている感じがしてしまったんです。

当時のシンガポールは

経済成長真っただ中。

国全体に勢いがあった時代なので、

建設中の建物も多くあり、

活気がありました。

海外企業もどんどん進出して、

国に経済活動の活発さは実感していました。

その一方で

社会的弱者が取り残されていったように私は思います。

例えばエスカレーター。

当時、小~中規模のショッピングモールでは

エスカレーターが中心。

小規模のところは階段しか見当たらないこともありました。

しかもエスカレーターのスピードが速いんです。

また、ビル内の通路が細く、

ベビーカーや車いすで来るのは難しいだろうな

と思うところもあり、

バリアフリー対応は

まだ行き届いていないように感じました。

今回の寝過ごしは、

いつも見ていたシンガポールとは

また違う一面を見る機会となりました。

悲しいけれど、これってどの国でも起こり得ること。

実際に日本も昔はそうだったと思います。

今になってようやく当時の被害者が

声を上げることができ、

国が賠償に動き出したニュースも記憶に新しいですからね。

あのバスから見た光景は今でも

はっきりと思い出すことができます。

あの子どもたちは、きっともう成人している。

みんな元気かな。

どこで何してるかな?

色々気づきをくれたあの子たちに感謝です。

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